このサイトでお伝えしていることはあくまで著者の「私的解釈」です。

東洋医学に関わっている人はそれぞれポリシーを持っていることも理解しています。

ここで述べることが正解だと主張するものではなく、一つの考え方として受け取っていただければ幸いです。

 

古典はベースになるが絶対ではない

東洋医学には「黄帝内経」などの何千年も前に書かれたものが残っており、現代でもそれらがベースになっています。

良いものだから何千年経った今でも残っていると言えるでしょう。

しかしその中には無理矢理こじつけているような感じる部分があるのも事実です。
 

良いものだと確信していますが、「古典こそ絶対である」とは思いません。

 

エビデンスは必要ない

また臨床においては西洋医学(現代医学)的にエビデンスは必要ありません。
 

学問としてや、現代医療の一つの科目として保険適用を目指すために東洋医学のエビデンスを追求することは意義があります。

ただそれは、それを専門にしている人に任せばいいだけのこと。
そして証明されたエビデンスは使わせてもらえばいいと思っているし、使わせてもらうことに遠慮もありません。
 

目の前で溺れている人がいます。
助けるために良い人が悪い人を確かめてから助けますか?

エビデンスは良い人か悪い人かを証明するものです。
 

臨床においては「目の前にある現象」を重要視し、その「目の前にある現象」を統計したものが東洋医学。

こういう症状にはこうやったら良くなる。

それで患者を苦悩から救えるならそれでいいと考えています。
 

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東洋医学は超能力ではない

「気血(きけつ)」など気のことが取りあげられるがゆえに、東洋医学を超能力による治療のように捉えられることがあります。

気が見える、気を操れるという人がいます。それは事実なのでしょう。その人が嘘を言っているとは思いません。

しかし、東洋医学でいう「気」は別に超能力的なものを指す言葉ではありません(これについては改めて記事にします)。
 

超能力を手に入れたいという気持ちもわからなくもないですし、超能力者になりたいという人を止めるつもりもありません。

しかし東洋医学は超能力ではありません。
 

患者の訴える症状を治す様は、傍目には魔法のように映るかもしれませんが決してそうではありません。

治るためのことをしただけです。特殊能力は必要ありません。

 

東洋医学を理解するための思考法

東洋医学を理解するためにはイメージ力が重要になります。

古典が書き記された当時をイメージする力です。
 

当時はレントゲンがあったわけでもなく、血液の成分分析ができたわけでもない。

生活様式も思想も現代とは全然違います。しかしヒトの体は現代と変わりません。
 

時代背景をイメージしてみて下さい。

そのような時代に医学として体系化されたものが東洋医学なのです。
 

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